寺山修司がいた
「寺山修司」(ちくま日本文学)の解説で、池内紀さんが次のような一節を書いていました。
東京・新宿の花園神社の裏手に、ずらりと小さな飲み屋が並んでいる。その中の一軒に寺山修司がいた。─正確にいうと、寺山修司の写真があった。
ギシギシ音をたてる狭い階段を上って、ドアを押して中に入るとカウンターの向こうの棚の上に、大きな眼をして額に少し皴をよせた顔写真がピンでとめてあった。
この界隈は、通称「ゴールデン街」と呼ばれる飲み屋街。多彩な才能が惜しまれ、死後も脚光を浴びる寺山修司も新宿をこよなく愛した芸術家でした。演劇実験室「天井桟敷」を設立し、新宿一帯を使って公演したこともありました。
ゴールデン街には、連夜作家や編集者、映画人や演劇人などが集い、侃侃諤諤の論議をぶつけ合いました。そうしたエネルギーが新宿文化の源となり、ひいては新しい日本の芸術や文化の発火点となっていったのです。

新宿ゴールデン街









